要害山

YOUGAIZAN 780m 2020/3/15 晴 ファミリー

武田氏の詰城である要害城。中世そのままに残る遺構は必見!!石垣の城とは違う土の山城を堪能しよう!!

写真右の森が武田氏の躑躅ヶ崎館跡。わかりづらいが写真中央の小さな山が要害山。 写真中央のこんもりした山が要害山。山全体が要害城である。 麓の積翠寺から要害山。武田信玄の産湯と伝わる井戸がある。
積翠寺から見る甲府盆地。まさにここが扇状地の最上部であることを実感できる。 登山道入口のすぐ脇に駐車場があるのでアクセス抜群。10台以上は駐車できる。 登山道入口にある積翠寺温泉要害。惜しまれつつも2017年に廃業した。
立派な案内。甲府市教育委員会の説明を読み,歴史を理解した上で山に入りたい。 登山道入口。竹の杖が用意されている。登山道としてしっかり整備されている印象。 「やまなしの森林100選 要害山のアカマツ林」の中を歩いて森林浴。
しばらく登ってすぐに尾根に出る。いよいよ歴史探訪の山歩きである。 所々に石積みが残る。築城が1520年,廃城は1600年。いつの時代のものか。 藪につつまれ,竪堀を確認することはできないが,看板のおかげで想像力が働く。
中世の山城は土塁。近世の石垣づくりの平城とは違う魅力を味わうことができる。 右に道が折れる。攻めていくと,正面の土塁からの攻撃を受ける。山城の醍醐味。 徐々に急な斜面になっていき,石の階段があらわれてくる。
中腹からは所々で甲府盆地が見渡せる。木が邪魔するが,冬季ならば眺望がよい。 中腹以上は,いよいよ門跡が出現してくる。このルートには門跡が4ヶ所もある。 門跡は土塁に囲まれ,崩れた石積みがなんとも言えない古城の魅力を伝える。
曲輪とは,山の斜面を平たく造成し,兵士の駐屯や倉庫を設けるために作られた広場。 このような広場が山頂まで点々と設けられている。不動曲輪は要害城で最大級。 不動曲輪の由来である武田不動尊。江戸時代後期に武田氏を偲んで祀られたのか。
最大の門跡。要害城がかなりの規模であることに気付かされるだろう。 待ち構えているかのような石積みに圧倒される。石垣ではない。石積みである。 さらに登ると,また門跡が現れる。いよいよ本丸が近いことを予感させる。
山頂手前という感じの細く急な場所に設けられている門跡の土塁。 門跡を過ぎて,ふり返ると,高い土塁に囲まれた大規模な門があったことがわかる。 門を過ぎると巨大な土塁の壁が。上から一斉攻撃。まさに堅固な要塞である。
土塁の攻撃をくぐり抜けると,さらに門跡がある。抜ければ本丸である。 幾多の攻撃に耐え,やっと山頂の本丸部である。山梨百名山の標柱がお出迎え。 東郷平八郎書の「武田信玄公誕生之地」の碑。軍神による軍神への敬意なのか。
本丸部。この山を詰城として目をつけ山城をつくった武田氏に尊敬の念。 土塁に囲まれた東西73m,南北22mの主郭部。広大さに呆然とするだろう。 登ってきたルートと反対方面の尾根に少し足を伸ばしてみる。
主郭部から下ってすぐに要害城のハイライトが出現する。くっきり残る巨大遺構。 尾根には土橋がつくられている。山を切り取った跡がくっきり残されている。 切り取った尾根にしっかり石積みが。山頂付近にこれだけの遺構が保存されている。
さらに竪堀が出現。要害城で最大にして,もっともはっきりと残る竪堀。 両側が絶壁の土橋となった尾根。ここで攻撃されれば・・・渡るだけで恐怖を覚える。 写真ではわかりづらいが,地獄へ真っ逆さまの竪堀。これぞ正真正銘の山城なのだ。

全国的には知る人ぞ知る山城だろう。武田氏の知名度からするともっとファンが訪れてもいい場所である。保存状態もすばらしい。

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